昭和・平成・令和時代の人間と片付けの関係性

久しぶりに少々お堅いタイトルで始めてみたくなりました。どのような文章になるかわかりませんが、書き進めていきたいと思います。

本日は令和ならではの人間関係の構築を感じさせた時間と令和のはずなのに昭和のような触れ合いを感じさせた時間とが交差しているような時が多々ありました。

私にとって2020年の10月22日という日はきっと忘れられない日になるでしょう。

Zoomが世間一般にまで広がったのは令和の時代になってからではありますが、早い方は平成から始められていて、遠方の方々とも気軽にまるで会っているかのように会話を楽しんでいた方もいらっしゃるのではと想像します。

一方でご近所付き合いに関しては令和は昭和時代よりは希薄と言われていて、集合住宅などでは隣に住んでいる人がどういう人なのか、正直なところ、わからないといった地域もあるようです。都会の方はその傾向が強いでしょうか。

地方になりますと、今も尚、ご近所付き合いが密であり、お隣さんどころか集落全ての方が顔見知りであり、困ったときには一致団結をして危機を乗り越えていく地域もあります。外で子供を遊ばせて親は家の中で家事をしていたとしても、外のご近所さんがみていてくれるような関係性ですね。

今日、実は私はオフラインの実生活で3人の小学生の女の子と知り合いました。

それは余りにも偶然な出来事で令和の時代ではそうそう起きないようなことがあった為、お話するようになったのですが、その女の子たちとまるでドラえもん、のび太の大冒険みたいなようなことが繰り広げられました。

詳細はここでは省きますが、本当にこれは現実ではなくて夢なのではといったような出来事で、夫もその大冒険に参加していたので二人で、いやあこんな出来事が起こってこんな風に知り合って、こんな風に一致団結してこんなことになるなんて。めでたしめでたしで終わって良かったね。といった話をしながら家に帰りました。

今のご時世、ご近所の全然知らない子供たちと話が盛り上がって探検まがいの事をする日がくるとは思ってもみませんでした。

まるで昭和のようでした。

その出来事以外ではZoomをさせて頂いて、日本各地の方とお話が気軽に出来るようになった時代になったことに令和だなあと強く実感したりしていました。

昭和のような触れ合い、令和ならではの触れ合い、どちらもとても素晴らしく、人間はやはり人との繋がりがあってこそ幸せを感じる生き物なのだろうと実感しました。

つまり人間関係が希薄なのか、豊かなのかで頭や心、そして部屋の中の物自体の片付けの度合いが反比例する例もあるのかもしれないと考えました。

人間関係が希薄であればあるほど頭も心も家の中も片付かないのだとするならば

人間関係が豊かであればあるほど頭も心も家の中も片付いていくものなのかもしれない。

だとするならば自分は一人ではないのだ、心通わせる人達がいるのだといった気持ちこそが片付けを促進させる一番の要因になるのではないかと思えた一日でした。

本日は少々お堅い文面のままで申し訳ございませんが、それでもここまでお読みいただいた方がいらっしゃったとしたら心からのありがとうを申し上げたいです。

※ストレッチ9ヶ月と22日目
こうやって書いているだけで終わらないようにね~

YOUR COMFORT
整理収納アドバイザー
ゆみ

友だち追加

プロフィールはこちら

タイトルとURLをコピーしました