怪しさ満点のタイトルで今日は書いてみます。笑
もう少し柔らかい表現で言うと思いやりでしょうか。
物の片付けの場合
私が思っている触りを3つほど書いてみますと
・物達の住所、お家を作ってあげるのがお片づけなので物達に対しての愛情
・自分自身に対してストレスを減らす効果があるので自分への愛情
・災害時のリスクを減らし、家族を癒す効果もあるので家族への愛情
などなど他にも色々ありますね。
頭と心の片付けの場合
自分は愛されている、もしくは自分で自分を愛そう
といった気持ちを持てた時に片付くのかなと感じています。
これ、生い立ち、育ち、過去の経験によっては非常に非常に難しいですよね。
特に親(血族だけではなく育ての親も含め)に対しては自分の理想とする愛や欲しい言葉を求めがちなため、
親が思っている愛と子供が欲しい愛、育ての親からは厄介者扱いされたなど様々なケースが多々あると思います。
全部のケースは書けないので一例として子供が貧乏でもいいから出来るだけそばにいてくれて質素でいいから手作りのご飯を作ってくれて笑いながら一緒に食べることが愛だと思っていたとして
親はお金で辛い思いをさせたくなく、何不自由なく暮らさせてやりたいと一生懸命に昼夜問わずにお金を沢山稼ぐことこそが愛情だと思っていた場合は真逆となり食い違いますよね。
まったく愛されていなかった。と思っていても、もしかしたら愛情の色が違うだけなのかもしれない。周りは周りで自分の存在を脅かされないように必死だったのかもしれない
親は親自身の過去の過ちを責めまくっているのかもしれない
親もまた、未熟で未完成で歪みもあり、親なりの愛情での決断・言動だったのかもしれない
いや、自分は親に捨てられた、暴力や罵声、放置も日常茶飯事だったし愛されていたとはどうしてもどうしても感じられない。ならば踏ん切りをつけて自分で自分を愛すために片づけてみようなど
あらゆる角度から考えた時にまた見えてくるものが違うのかなと感じます。
※ストレッチ6か月と22日目
またやりたいダンスはズンバだと思い出しました!
今のままではまたどこかを痛めるからもう少し柔らかくしないと!
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整理収納アドバイザー
ゆみ
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